ジンギスカン

ジンギスカン

実は東京でジンギスカンを広めたのは我が家であった・・・

と凄い事を言ってみたが、まんざら嘘ではないようだ・・・

オヤジが北海道の美瑛生まれ(爺さんは奈良県十津川村出身)
オフクロは樺太出身で終戦直前に美瑛に移り住む

オヤジは北海道拓殖銀行に努めていて戦争中、樺太の国境警備のあと終戦後、北海道に帰還するはずの船が着いてみると、そこはロシアだった。
そのままマイナス40℃以下にもなる極寒な地で、過酷な強制労働の抑留生活で仲間がどんどん死んで行く中、何とか無事に美瑛へ戻る。

その後、復職し東京の築地支店に転勤。。北海道と名前が付いてる「拓銀」だけど都市銀行であった。
当時から東京の築地市場では「莫大な金」が動いてるので金融機関はそれを狙っての東京進出だろう。

住まいは新宿にある拓銀の社宅で、そこで僕が生まれる。昭和29年の事だ。
博打好きのオヤジはいつも若い行員を我が家によんで麻雀をしていた。
(いつも負けていたのはオヤジの討ち方が夢追い麻雀で、せこい手なんかじゃ勝ちたくない、でっかい役満で勝負だ!と言うのが口癖だったからだ)

皆が揃うと麻雀の前に必ず腹ごしらえとしてオフクロが振舞っていたのが「ジンギスカン」で、当時の東京の人達はまだ知らなかった。
昭和30年代の事である。

そのジンギスカンが好評でそれを目当てに麻雀に来る行員も多かったというくらい評判だったらしい。
幸い親戚が皆んな北海道で東京にいるのは我が家だけだから、しょっちゅう北海道から送られて来るのは「ジンギスカン」と凄くしょっぱくて美味しい「塩鮭」だった。

当時の東京では新宿、新大久保、渋谷、銀座など飲食店が数ある中、「ジンギスカン」という名の料理を提供してる店は聞いた事が無いらしく、皆んな美味しい美味しいと我が家で食べていたそうだ。
北海道出身者が東京で飲食店を開業していても皆んな居酒屋さんばかりで、取り扱うのはやはり魚だけだった。

そんな中、「ジンギスカン」という響きは日本人にはとても馴染み深く、そして覚えやすい事も有り、どんどん我が家に来る行員が増え、いつも賑やかだった事は今でも記憶に残っている。
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その状況を考えてみると、もしかすると「ジンギスカン」と言う料理を東京で有名にしたのは我が家ではないかという憶測が出来るのではないだろうか・・・?

しかし当時はマトンを使っていたようだけど、それでも北海道独特のタレに漬け込んだマトンは美味しかったらしい。
僕はラムしか食べない、出来ればベビーラムの方が最高に旨い。それもあのジンギスカン鍋?というが鍋ではなく真ん中が盛り上がったジンギスカン専用の鉄板じゃなくて網焼きが一番好き。しかも炭火焼が最高だ。
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オフクロにしてもジンギスカンだと、モヤシと玉ネギさえ有れば簡単に出来るので楽だったと思う。
いずれにしても懐かしいなあ・・・
当時小学生だった俺も良く食べていた。
















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by tturarc166 | 2017-05-01 10:54 | 美味しいもの | Trackback | Comments(0)

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