樺太3大カフェ 「五月」
2016年 07月 26日
これは祖母の妹が樺太の恵須取(エストル)で営んでいた昭和14年当時の「カフェ五月」の写真だ。
左下に写っている中学生くらいの娘が僕の母で、学校が終わるといつもカフェに遊びに来て、常連客などからお小遣いを貰っていたそうだ。
樺太の人口は1945年(昭和20年)当時、約40万人で、当時の主要な産業は漁業、農業、林業と製紙・パルプなどの工業、石炭・石油の採掘業など。恵須取でこのカフェを経営していた頃は樺太の3大カフェのうちの一つに挙げられていたのだが、当時の顧客は、王子製紙、富士製紙、樺太工業の重役達がほとんどで大盛況だったが、まもなく日本は戦争に負ける・・・という情報をいち早く入手し、終戦前の昭和17年にすべてを処分して北海道へ戻って来た。そして美瑛町に入り、風呂屋「松の湯」を買って、悠々自適の生活を送っていた。その婆ちゃんの姪が昭和36年に美瑛町で初めての「純喫茶スズラン」を開業、その翌年「夢」という飲食店を開業、僕はそのころ毎年北海道へ来るたび、叔父がいるこの「喫茶すずらんに足を運んでいた。
いつか僕も店をやりたいと思いながら・・・
上中央が僕で左にいるのが従姉妹、その娘が現在の「すずらん店長」僕の右にいるのは当時の従業員(女性が二人いた)下中央がカフェ五月を営んでいた祖父の妹、その左が祖父、右は「喫茶すずらん」と「夢」を営んでいた僕の母の妹
その後、叔父の次女が旭川医大の正面で「カフェ・リバティーハウス」を開業、結婚を期に閉店した7年後にその場所でタイムトンネルがオープン。そして叔父が亡くなって閉店していた「喫茶すずらん」を今年長女の娘が引き継ぎ、亡き婆ちゃんの意思を守って営業を続けている・・・
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by tturarc166
| 2016-07-26 11:19
| カフェ